September 2010
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イスラム教というのは、宗教というよりも、 むしろ生き方そのものととらえるべきものかもしれない。 断食にしろ、日に五度の礼拝にしろ、 アッラーと向き合いながら彼らは自分自身と向き合っているとも 言えるのではないだろうか。
あのとき彼は、右手の人差し指を高くたかく伸ばして天をさしていた。 死後の世界で神の審判を受けるときに、 その人差し指が生涯祈りを続けてきたことを証明してくれるのです、とサイードは言った。 それほどまでに禁欲的な、愛を尊ぶ宗教なのに、 どうしてしばしば誤解されてしまうのだろう。 どうしてその名のもとに人々がぶつかり合ったり、 時に殺し合ってしまったりするのだろう。 もちろんそれは、何もイスラム教に限ったことではないのだけれど。
村井 由佳 「遥かなる水の音」
February 2010
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大切に育てるということは 「大切なもの」を与えてやるのではなく、 その「大切なもの」を失ったときにどうやってそれを乗り越えるか、 その強さを教えてやることなのではないかと思う。
吉田修一 「横道世之介」
January 2010
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「私、自分が持っていないものを数えて過ごすのはもういやなの」
角田光代「八日目の蝉」
November 2009
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「僕らはみんな、いろんな大事なものをうしないつづける」 ベルが鳴り止んだあとで彼は言う。 「大事な機会や可能性や、取り返しのつかない感情。 それが生きることのひとつの意味だ。 でも僕らの頭の中には、たぶん頭の中だと思うんだけど、 そういうものを記憶としてとどめておくための小さな部屋がある。 きっとこの図書館の書架みたいな部屋だろう。 そして僕らは自分の心の正確なありかを知るために、 その部屋のための検索カードをつくりつづけなくてはならない。 掃除をしたり、空気を入れ替えたり、花の水をかえたりすることも必要だ。 君は永遠に君自身の図書館の中で生きていくことになる」
村上 春樹「海辺のカフカ」
そこにあるのは、朽ちるもの、風化していくものへの 無防備な共感ではない。 自然のしわざを取り込み咀嚼する、確かな意思の力だ。
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エッジの効いた箱が時間を想起させる素材をまとい、 クリエイティビティをサポートする空間ができあがった。
CONFORT February 2009
August 2009
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私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。 私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。 そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。 私は私。あなたはあなた。 でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。 たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。 Frederick.S.Perls「ゲシュタルトの祈り」
June 2009
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できること、できないこと。 ものすごくがんばればなんとかなるかもしれないこと。 初めからやらないほうがいいかもしれないこと。 やりたいことをやっているように見えて、 本当にやりたいことから逃げているかもしれないこと。 -いいかげん、その見極めがついてもいい歳なのだった。 けれど、できないとどこかでそう思っていても、 諦めてはならないこともある。 梨木香歩「春になったら苺を摘みに - 五年後に」
謝罪要求する彼或いは彼女が望むことは、本当は「対等」の立場を 奪回することなのだ。 虫けらのように扱われた、そのときに一瞬でも変容してしまった 自分の意識-哀れみを乞う、卑屈になる、怯える、徹底的な劣位を体験する- 自分の身の上に起こったそういう感情を払拭することだ。 そして自分の身の上に起こった本当の意味をわかってもらいたい。 痛みをそれぞれ個人レベルの痛みとして感じてもらいたい。 彼、或いは彼女らの心を相手が本当に悼んでくれたと、 彼或いは彼女らが感じることができたら、 そのときやっと本当に「それ」が終わる。 梨木香歩「春になったら苺を摘みに - 夜行列車」
これは私の本来の美意識に反する、 良くない風習を身につけてしまったのだと悟り、 それから、率先して自分からドアを開けるように意識して努めた。 自分の力でドアを開け、 その向こうの新しい空気に触れ、 自分の足で踏み出してゆくこと。 梨木香歩「春になったら苺を摘みに - 子ども部屋」
ただひたすら信じること、それによって生み出される推進力と、 自分の信念に絶えず冷静に疑問を突きつけることによる負荷。 相反するベクトルを、互いの力を損なわないような形で 一人の人間の中に内在させることは可能なのだろうか。 その人間の内部を引き裂くことなく。 豊かな調和を保つことは。
梨木香歩「春になったら苺を摘みに - 子ども部屋」
May 2009
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いつでも、毅然としていた。いられるはずだ。昌彦のしたことを忘れよう、 できるなら、許そう、そして雄々しく乗り越えようと、何度も何度も立ち直りを図った。
そればかりか、立ち直った振りまで、した。
この一年というもの、こんなことになったのも、もとを正せば子供ができないからだと、 ずっと抱え込んできたわだかまりに、毎日、自己憐憫の水をやって後生大事に育ててきた。 すると、それはカビのように増殖して、自信や自負をあらかた食い尽くしてしまった。
平 安寿子 「あなたがパラダイス - こんなはずでは」
でも、もし、次の出会いが来たならば、 相手にとって満点の自分になるよう身を削るのではなく、 二人でいられる二人になるために、 心を広く持つことを考える。
平 安寿子 「あなたがパラダイス - こんなはずでは」
もうひとつ、「かつてあこがれた経験」をもつ人が「伝え手として適切」である理由として、「アマチュア(あるいは第三者)の目をもつ」ということがあると思います。ある分野に対し、幅広い人に興味をもってもらいたい、その分野の楽しさを知らせたいという目的がある場合、特にこの「アマチュアの目」が不可欠であるように思うのです。それはつまり、「受け手の気持ちを想像しやすい」ということに通じると思うから。 そういうなかで、自分自身が圧倒的に知識不足であると感じるわたしとしては、「なんとなく文字が気になる」「文字のことをもう少し知りたい」と思う人の「最初の一歩」になれるような情報を提供していくことこそが、アマチュアである自分にできる仕事なのではないかと思うのです。 雪景色 「良い伝い手」に必要なこと
April 2009
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おかあさんと私は毎日一緒にいるけれど、 ほんとうは、おかあさんはおかあさんの 私は私の時間の中で生きてるんだよってことなのかもしれない。 でもそう考えるのは、やっぱり変な気分だ。
湯本 香樹実「春のオルガン」
March 2009
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人は、求めているものの正体がなかなか見つけられないもの。 でも、何だか違う、ということだけはわかります。 その小さな違和感を無視しないこと。 徹底的に向き合ってみること。 そうやって歩きつづけていると、しらずしらずのうちに 強さを身につけることができるのかもしれません。
暮らしのおへそ Vol.7-強く生きるおへそ
January 2009
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ものごとはあるがままにしておけばいい、 それはそれとしてほっておけばいい。 あんまり自分がこういうふうにしたいとコントロールしないで落ち着いて。 そのうちに自分の思ったようになるかもしれないし、 ならないかもしれない、でもそれはそれでいいと。 その瞬間、瞬間を信じること。 直感に耳を傾けて心の声を聞かなければいけないの。
サチ・パーカー(ダ・ヴィンチ 2008年7月号)
事件のもつ深刻さがあまりに強烈で、 それを手元に引き寄せるのが、本当につらい。 それで気が付けば焦点を別なところにずらしてしまう。 それはそれで、私の「感想」には違いないのだろうが、 本当の「つらさ」からはかけ離れてゆく。 梨木香歩「ぐるりのこと - 大地へ」
傾向と対策で仕分けしてゆきがちな今の受験勉強にこそ、 そもそも思考回路をマニュアル仕様にしてしまう大きな要因が あったように思えてならない。 人生の一時期ならいいかもしれないが、十数年続くと思うとたまらない。 その一番の弊害は、立ち止まって深く長く考え続ける思考の習慣が、 身に付きにくくなることだ。 そのことについて深く考える。 深く悲しみ、考える。 何日も何週間も何ヶ月も、あるいは何年も。そういう思考の習慣。 梨木香歩「ぐるりのこと - 目的に向かう」
もっと深く、ひたひたと考えたい。
生きていて出会う、様々なことを、一つ一つ丁寧に味わいたい。
味わいながら、考えの蔓を伸ばしてゆきたい。
梨木香歩「ぐるりのこと - 風の巡る場所」