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Nov
29th
Sun
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「僕らはみんな、いろんな大事なものをうしないつづける」
ベルが鳴り止んだあとで彼は言う。
「大事な機会や可能性や、取り返しのつかない感情。
それが生きることのひとつの意味だ。
でも僕らの頭の中には、たぶん頭の中だと思うんだけど、
そういうものを記憶としてとどめておくための小さな部屋がある。
きっとこの図書館の書架みたいな部屋だろう。
そして僕らは自分の心の正確なありかを知るために、
その部屋のための検索カードをつくりつづけなくてはならない。
掃除をしたり、空気を入れ替えたり、花の水をかえたりすることも必要だ。
君は永遠に君自身の図書館の中で生きていくことになる」

村上 春樹「海辺のカフカ」

Nov
25th
Wed
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そこにあるのは、朽ちるもの、風化していくものへの
無防備な共感ではない。
自然のしわざを取り込み咀嚼する、確かな意思の力だ。

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エッジの効いた箱が時間を想起させる素材をまとい、
クリエイティビティをサポートする空間ができあがった。

CONFORT February 2009
Aug
5th
Wed
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私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

Frederick.S.Perls「ゲシュタルトの祈り」
Jun
16th
Tue
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できること、できないこと。
ものすごくがんばればなんとかなるかもしれないこと。
初めからやらないほうがいいかもしれないこと。
やりたいことをやっているように見えて、
本当にやりたいことから逃げているかもしれないこと。
-いいかげん、その見極めがついてもいい歳なのだった。
けれど、できないとどこかでそう思っていても、
諦めてはならないこともある。

梨木香歩「春になったら苺を摘みに - 五年後に」
Jun
15th
Mon
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謝罪要求する彼或いは彼女が望むことは、本当は「対等」の立場を
奪回することなのだ。
虫けらのように扱われた、そのときに一瞬でも変容してしまった
自分の意識-哀れみを乞う、卑屈になる、怯える、徹底的な劣位を体験する-
自分の身の上に起こったそういう感情を払拭することだ。
そして自分の身の上に起こった本当の意味をわかってもらいたい。
痛みをそれぞれ個人レベルの痛みとして感じてもらいたい。

彼、或いは彼女らの心を相手が本当に悼んでくれたと、
彼或いは彼女らが感じることができたら、
そのときやっと本当に「それ」が終わる。

梨木香歩「春になったら苺を摘みに - 夜行列車」
Jun
14th
Sun
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これは私の本来の美意識に反する、
良くない風習を身につけてしまったのだと悟り、
それから、率先して自分からドアを開けるように意識して努めた。
自分の力でドアを開け、
その向こうの新しい空気に触れ、
自分の足で踏み出してゆくこと。

梨木香歩「春になったら苺を摘みに - 子ども部屋」
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ただひたすら信じること、それによって生み出される推進力と、
自分の信念に絶えず冷静に疑問を突きつけることによる負荷。

相反するベクトルを、互いの力を損なわないような形で
一人の人間の中に内在させることは可能なのだろうか。
その人間の内部を引き裂くことなく。
豊かな調和を保つことは。

梨木香歩「春になったら苺を摘みに - 子ども部屋」
May
20th
Wed
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いつでも、毅然としていた。いられるはずだ。昌彦のしたことを忘れよう、
できるなら、許そう、そして雄々しく乗り越えようと、何度も何度も立ち直りを図った。

そればかりか、立ち直った振りまで、した。

この一年というもの、こんなことになったのも、もとを正せば子供ができないからだと、
ずっと抱え込んできたわだかまりに、毎日、自己憐憫の水をやって後生大事に育ててきた。
すると、それはカビのように増殖して、自信や自負をあらかた食い尽くしてしまった。

平 安寿子 「あなたがパラダイス - こんなはずでは」

May
19th
Tue
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でも、もし、次の出会いが来たならば、
相手にとって満点の自分になるよう身を削るのではなく、
二人でいられる二人になるために、
心を広く持つことを考える。

平 安寿子 「あなたがパラダイス - こんなはずでは」

May
18th
Mon
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もうひとつ、「かつてあこがれた経験」をもつ人が「伝え手として適切」である理由として、「アマチュア(あるいは第三者)の目をもつ」ということがあると思います。ある分野に対し、幅広い人に興味をもってもらいたい、その分野の楽しさを知らせたいという目的がある場合、特にこの「アマチュアの目」が不可欠であるように思うのです。それはつまり、「受け手の気持ちを想像しやすい」ということに通じると思うから。

そういうなかで、自分自身が圧倒的に知識不足であると感じるわたしとしては、「なんとなく文字が気になる」「文字のことをもう少し知りたい」と思う人の「最初の一歩」になれるような情報を提供していくことこそが、アマチュアである自分にできる仕事なのではないかと思うのです。

雪景色 「良い伝い手」に必要なこと